インターネットが急速に普及したころ、ある曲がリリースされました。
その曲を創った人がこのようにコメントしていました。
『この詞を書いたきっかけは、ずばりインターネットです。匿名という隠れ蓑にこもれるがゆえに、その人の本質があらわになって、平然と人を傷つける。インターネットは世の中の発展に大きく貢献すると同時に、一方ではこのようにひじょうに危険をはらんでます。 それは僕らに対しても同様で、事実ではない情報の錯綜、混乱が毎日のようにネット上で繰り返されています。時に僕らの発言に、違った理解が発生し、それは情報となりいつのまにか僕らの発言のようにすり変わる。 インターネット上での彼らの声には、納得できるところもありますが、審議というゲームのなかでの心理操作に大勢の人たちが巻き込まれているのも事実です。 僕らは表に立っている人間ですから、わりに笑って済ますことにも慣れました。しかし、それによって僕らが大切にしている人たちまでもが傷つく結果になっているようです』
情報社会と言われてもう長いですが、多くの情報が一瞬にして自宅で手に入る時代が来て、それが当たり前のようになって久しい。
インターネットは非常に便利なものだけど、使い方を間違えれば凶器にもなりかねない。
言葉の凶器として。
自分の心情を書くことはその人の自由だと思う。
ただ匿名でありながら、相手を実名で挙げ平然と批判し中傷する。
不特定多数の人が閲覧できるスペースを使って。
人を傷つけることなんて本当に簡単なことで、たった一言でその人の人生を大きく変えてしまう。
前面に出る機会が多くなると、気付かないところで多くのものが動き、意図しない形で伝わってしまいます。
もしそれを何かのキッカケで目にすることがあるとしたら…
書かれた側はどうやってその気持ちを閉じ込め、戦えばいいんだろう。
ふとそんなことを考えてしまいました。
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